主日礼拝

あなたのお気に召されなければ

Nov 30, 2015 07:19 AM CST

あなたのお気に召されなければ

民数記22章1-35節
モアブの王であるバラクが出てきます。彼は神様が共にしてくださるイスラエル民と戦って勝利することは出来ないということをしていました。神様の預言者であるバラムに「イスラエルの民を呪ってもらいたい」(民数記22:6)と財物を持って頼みます。バラムは彼らが持ってきた財物を見て目が大きくなりました。そうして神様に尋ねます。
まず、このバラムに学べることがあります。まず神様に聞いてみることです。財物を見たとき目が大きくなりながら興奮したかも知れません。神様が私に物質の祝福を下さるのだと思えたかも知れません。しかし、バラムは神様に聞いてみました。私たちが何かを行動をして、決める前に神様に尋ねることはとても大事です。御霊が導いてくださる考えの中には平安があります。しかし、自分が願う選択をするとき、不安なあって何か気にかかることがあるなら、神様が願っていないことかも知れません。私たちは神様に聞くことを訓練するべきです。神様の導きによって歩んでいくときだけ、円満な道を歩むことが出来ます。そうでなければさまよい続けるしかありません。
神様はバラムに「行ってはいけない。またその民を呪ってもいけない。」(民数記22:6)といわれました。バラムはモアブの人たちにそれを伝えます。そうすると、モアブの王バラクは、もっとたくさんの宝物をもって来て、また同じことを頼みます。それでバラムは神様にまた聞いてみます。
その聞いてみることは何ですか?厳密に言うと不従順です。神様の言葉があったときにすぐに従順できる私たちになることを願います。神様はそれを喜んでくださいます。しかし、このバラムは奏しません。神様にまた、尋ねます。その不従順の結果は死でした。(民数記31:8)
クリスチャンにとって不従順の結果は霊的な死です。神様との関係から切られてしまいます。不従順によって生じる罪悪感が神様と私との間を断絶させます。神様の前に出て行くこと、教会に出て行くことが怖くなります。結局は信仰を失うことになります。これが霊的な死です。このバラムを通して私たちが学べる2番目のことは、従順することです。自分の意地を張ることや、自分の考え、経験を置いといて神様のみ言葉に従順すると、私たちの人生の道は平安になり、神様から祝福をもらいます。

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